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「振り返ってみて、ブレずにやってきたことがよかったんだと思っています」

――初舞台後、月組に配属された北翔さんは、出世役と呼ばれている『ノバ・ボサ・ノバ』のドアボーイ役に選ばれたり、ベルリン公演の選抜メンバーに入ったり、早々に抜擢されました。新人公演は『シニョール・ドンファン』『薔薇の封印』そして『飛鳥夕映え』と3公演で連続主演、バウホール公演でも活躍され、『恋天狗』『Burbon Street Blues』、そして月組最終公演となった『想夫恋』も主役でした。

私はもともと芸事を目指して宝塚に入ったわけじゃなくて、自衛隊に入りたかったのに、中学校の時の担任の先生のひと言で宝塚に入っちゃったというタイプなんです。だから、入団当時はとにかくみんなについていくのに必死で、最初の頃は芸を極めるなんて考える余裕もなかったんです。でも、新人公演やバウ公演を任されるようになると、芸を極めなくちゃと意識が向いていきました。

――具体的には、どんなことを?

宝塚は、時代や場所を超越したさまざまなジャンルの歌やダンスが登場するのですが、私は宝塚バージョンの歌やダンスを練習するのではなく、シャンソンはシャンソンの先生、ジャズはジャズの先生、社交ダンスは社交ダンスの先生、タップはタップの先生というように、全てのジャンルの専門の師匠に師事しました。「そんな歌い方じゃ、宝塚では通用しないわよ」と、風当りが強かった時期もあったんですけど、今振り返ってみて、ブレずにやってきたことがよかったんだと思っています。宝塚にいるのですから、本来は宝塚の型でやれればそれでいいんです。でも私は、本物を知らずに宝塚バージョンをやるのではなく、本物を知ったうえであえて宝塚バージョンをやりたかったんです。そういう性格なんでしょうね(笑)。

――新人公演も卒業し、2006年に宙組に組替えと同時に三番手に就任。主要キャストの一人になりました。このころから北翔さん出演の公演のチケットが争奪戦になってきましたね。

宝塚にはいろいろな生徒がいるので、二枚目が好きな人はそういう人のファンになると思うんですよね。私のファンは「今度は何をみせてくれるんだろう」と楽しんでくれる方が多かった。「宝塚の男役が好きなのよ」というファンより、「北翔海莉っていう役者が好きなのよ」というファンがいてくださったのが、私にとっては一番の励みだったかなと思います。いわゆる宝塚の二枚目路線ではない個性的な役を演じれば演じるほど、ファンが増えていった時期でした。

――宙組では『バレンシアの熱い花』でロドリーゴとラモンという両極端な役を日替わりで演じ分けたり、『雨に唄えば』では美声と歌ウマを封印して音痴な無声映画スターを演じたり、芝居の存在感がぐっと広がりましたね。

全部好きだった役ですが、トップスターが大空祐飛さん(現・大空ゆうひ)になられてからは、『カサブランカ』でズル賢い太ったおじさんの役を胴布団を着込んでやってみたり、 『銀ちゃんの恋(蒲田行進曲)』では階段落ちをする大部屋役者のヤスを演じたり、ハッキリ言って二枚目をやってないんです(笑)。当時宙組組長だった寿つかささんが「好きにやっていいよ」と言ってくださったのと、トップさんがお芝居上手で「何やってもいいから」と言ってくださる環境だったんです。恵まれてました。

――宙組でのバイプレーヤーぶりが認められて、2012年に専科入りされました。全5組に出演するという大活躍の時代がスタートです。

出てましたね~(笑)。専科の3年間というのは「普通だったらこんなスケジュールありえない」っていうくらい、大劇場に連続で出演していたんですよ。「次、この役だから」と、どんどん決まってて、「1か月の稽古遅れで入って、10日間くらいの稽古で本番の舞台に立てってことですか?」という環境の中でやっていましたね。100周年のころなんて、自分の主演公演もやりながら、1週間くらいのお稽古で次の大劇場の幕が開いていたので、やりながらも「これはちょっとさすがにないよな」と思っていましたね(笑)。

――とはいえ、同期生・音月桂さんのサヨナラ公演(雪組『JIN-仁-』『GOLD SPARK!-この一瞬を永遠に-』)に出演したり、宙組『オーシャンズ11』では花組時代の戦友・蘭寿とむさんとバディを組んだり、星組が上演した宝塚歌劇100周年公演『眠らない男・ナポレオン —愛と栄光の涯に—』にキャスティングされたり、専科というポジションを活かして「北翔海莉ならでは」のキャスティングによる出演が多かった印象です。

普通、どこかの組に所属していたら年間2回しか大劇場の作品に出られないんですけど、専科のころって自分では「次は呼んでもらえないかも」という恐怖心の中でやってたんですね。組に所属していると必ず次の組公演に出られるんですけど、保証がないポジションだったので。そういう意味では「もしこれが自分の最後の舞台になっても悔いはない」という気持ちで挑まないとダメだなと思っていました。そういう部分では命がけでしたね。

――スケジュールだけでなく、メンタル面で「専科生になって変わった」ということはありましたか?

実は、専科に行く時に「スター路線ではなく、おじいさんやおばあさんの役しか来ないから」と言われての配属だったんです。だから、役に関しては、何番手、という意識もなく、一人の役者として呼んでもらうという気持ちで参加していたので、専科では「トップさんのサポート役だ」という意識は常にありました。その組のトップさんによってカラーも違いますし、必ず、そのトップさんから学ぼうと思っていました。

――随分多くのトップさんを見てきましたよね。

私は、卒業までに17人のトップさんのもとでやってきました。実体験として、各組のいろいろなトップさんを自分の目で見て学べたと思います。だから、星組でトップスターになるまでに、理想の組の姿というものを自分の中で作れたし、それはよかったなと思いますね。

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