「純度の高い」浦井健治が“光”から“闇”へ新たな挑戦
――先ほど「佐渡の三世次の一代記」とおっしゃいましたが、三世次は自分のことを一番分かっているようで分かっていない、というようにも感じました。藤田さんは三世次のどんなところに人間味を感じていますか?
はっきり言ってしまえば、彼は人間味のない人。三世次は登場したとき、死んでいると僕は思っています。罪人で佐渡に送り込まれ、そこから抜け出し、いつ捕まり殺されてもおかしくない彼が、父親が生まれたルーツの場所に舞い戻ってくる。そこで何者でもなかった彼が、言葉の策略、もしくは剣という力によって何者かになっていき、その過程で“生”に執着しはじめ、彼の人生は劇的に変わっていきます。
――そういう見方をすると、舞台が全然違うようにも感じますね。
この作品は「墓場からのエピローグ」で終わり、死者たちが客席に向かって人生の喜びを歌うわけです。つまりそこは、「生きている人間は喜びや祝祭を感じることはできないのでは」という、作品の最大のアンチテーゼだと思っています。そしておっしゃるように、三世次は自分のことを全く分かっていなかったのかもしれません。彼を見ているとお客様の心にも浮上してくると思うんですよ。「一体自分は、どれだけ自らのルーツや自分自身のことを理解しているのか」と。
――リチャード三世がモチーフとなっている「佐渡の三世次」役は、初演で「きじるしの王次」を演じられた浦井健治さんが新たに挑まれます。
浦井さんがすごく深く、潔い覚悟で臨んでくださっているので稽古がとても楽しいです。「この戯曲はこんな読み方があったのか」と浦井さんから教えていただくこともあり、感動的な時間をたくさん共有しています。浦井さんはあらゆる意味で純度が非常に高い方。もともと演じていた王次は、若親分としてみんなに支持されている人物で、この物語の“光”。三世次は見せかけの支持しか得られない“闇”なんです。前回“光”を演じた浦井さんが、“闇”を演じる面白さと恐ろしさが、すごくありますね。浦井さんの中で、この作品における三世次の立ち位置は明確。三世次は死や策略を経て、色々な人物を取り込み巨大化していくのですが、そのリアリティを浦井さんは非常に持っていると思います。
――「隊長」役は再び木場勝己さんが演じられますが、木場さんは蜷川幸雄さんが演出された『天保十二年のシェイクスピア』(2005年)でも同じ役を演じられていました。これは何か意図があるのでしょうか?
木場さんが名優であるということに尽きます。井上ひさしさんの言葉や思想を最もお客様に伝えることができる役者の一人ですよね。
――藤田さんはその2005年の公演にも、演出助手として携わられていたのですか?
そうです。ニナガワ・スタジオに入ったばかりでした。蜷川さんは僕にとって“尊敬”しかない、特別な存在です。比較対比するのもおこがましいのですが、演出を続ける限り、いつかは蜷川さんが演出した作品に挑戦する日が来ると思っていました。『天保十二年のシェイクスピア』がその初めての作品です。
――やはりプレッシャーがありましたか?
プレッシャーしかないですね(笑)。そうは言っても、ものを作る喜びのほうが僕は大きいです。時を経てもいい戯曲、いい言葉を演劇人として紡ぎ、お客様に届ける使命を担っていると思っていて、だからこそ木場さんが隊長役であることにこだわりました。この戯曲の中にある、怒りや喜び、悲しさ、逃れられない生き様と死に様を、演劇の想像力の中でしっかり伝えたい。蜷川さんが上演なさった舞台のメッセージを、きちんと自分も感じながら、どうやって今の時代に届けるのか、ということはすごく大事だと思いました。
――ほかにこだわった部分はありますか?
特にオープニング、蜷川さんはグローブ座を百姓たちが壊して、お客様を江戸の世界へ一気にさらっていきました。僕は最下層にいるのは女郎ではないかと考え、オープニングに百姓だけではなく女郎も登場し、百姓と女郎の存在そのものを賛歌する歌で、「誇らしい生き様ここにあり!」という演出にし、今の物語として届けようと考えました。
――再演では初演より続投のキャストもいれば、新しく入られたキャストもいます。
カンパニーの中で対話し、一つひとつ積み上げていくのが今回の稽古の大きな特色です。台詞の一行、言葉の一つひとつにこだわることができ、シーンとしても細かく詰めていけることが再演の意義であり、幸運だなと思います。
――観客にとっても、新たな発見のある豊かな再演になりそうです。
今年『SHOGUN 将軍』(真田広之さんプロデュース・主演)がヒットしましたが、日本にルーツのある作品を、アジア圏ではない国の方も広く受け入れて、新たな表現の在り方を感じました。『天保十二年のシェイクスピア』にある日本人の価値観や日本語の意味、味わい深さや豊かさを、海外の方にも伝える時がきたような気がするので、世界ツアーができる未来も思い描きながら、作品の現在形を問うていきたいです。
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