「こんなやり方があるんだぞ!と我が物顔で弟たちに教えていた」
――初めて劇団☆新感線に出演されたのが、2009年の『蛮幽鬼』。鮮やかな殺陣や美しい女形に目を奪われましたが、あのとき17歳だったのですね。
憧れの場所で、夢心地というか現実感がなく、本当に緊張していたのを覚えています。劇団☆新感線は13歳のときに初めて観て、憧れました。
――松本幸四郎(当時は市川染五郎)さんが主演された『髑髏城の七人~アオドクロ』ですね。
はい。こんな世界があるんだ!とすべてが衝撃で。照明の格好よさ、音楽、演出、立ち回り――。ずっと鳥肌が立っているような感動を覚えました。
――その後、多くの新感線の舞台に出演されましたが、特に思い出深い作品は?
最近でいうと、古田(新太)さんと僕のキャラクターの体が入れ替わる『天號星』(2023年)ですね。やっとこういう役どころをさせてもらえるようになったのか、とうれしかったし、年月の流れを感じました。いのうえ(ひでのり)さんの演出どおり演じたけど、僕自身も古田さんの歩き方を真似してみたり、自分が思う古田さん像を落とし込んでいって、楽しかったです。
――『髑髏城の七人』では2011年と2017年の2回、同じ役・無界屋蘭兵衛を演じられたのが印象的です。1回目と2回目でだいぶ違いましたか?
まったく別の色味になりましたね。最初は同じ作品で同じ役をやることにあまり慣れていなくて、違和感というか想像ができなかったけど、初日の稽古場で「これはもう全然違うものになるな」と、いのうえさんの演出を見てわかりました。そこで、過去の役にとらわれていたところから吹っ切れました。
――森山未來さんも同じ役・天魔王を演じ、早乙女さんと再共演されていたのも興味深いです。
未來さんとまた共演できるのはうれしかったです。“鳥ドクロ”(『髑髏城の七人 Season鳥』)は、大ファンの阿部(サダヲ)さんや、(池田)成志さんとか、僕が好きな人しか出ていなかったんですよ。のびのびとできて、とにかく楽しかったという記憶しかないです。逆に“ワカドクロ”(2011年)は苦しかった記憶しかない(苦笑)。
――合同取材会でも、当時のご自身のことを「思春期で、ひねくれ小僧だった」とおっしゃっていましたね(笑)。新感線の舞台に出演したことで、新たに得たものはありますか?
たくさんあります。育ててもらったような場所でもあるので。殺陣に関してもそうです。17歳で初めて出演し、新感線のアクションや表現の仕方が、最初はわからなかった。大衆演劇は昔ながらのチャンバラと言いますか、決まった型があり、限られているんです。刀もジェラルミンという素材の硬く重たいものを使って、相手の刀とガチガチ当てて殺陣をやっていたのが、新感線では絶対に当てないし、すべてが違いました。
そのやり方を自分の劇団(劇団朱雀)に持ち帰り、「こんなやり方があるんだぞ!」と我が物顔で弟(早乙女友貴)たちに教え、自分なりに練習もして。今まで本当にたくさんの刺激をもらい、影響を受けています。
――新感線の座付き作家・中島かずきさんとは新感線の舞台以外にも、連続ドラマ初主演となった『封刀師』の脚本や、劇団朱雀への書き下ろしなど、ご縁が深いですね。
かずきさんから以前、「何かあったら言ってね」とかけてもらった言葉は、僕にとってすごく大きいです。「手助けしてもらいたいな、お願いしたいな」と思っていても、遠慮の気持ちが先にあったけど、そう言っていただき、劇団朱雀の脚本をお願いすると、快く引き受けてくれました。
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